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振込再開が確実になされていれば、オーナーたちも少しは救われただろうが、現実には何も履行されなかった。
度重なる約束反故。
いや、ごく一部のオーナーに対しては、振込みを再開した事実もあったどういう基準で選択したかは今となってはわからない。
しかし、そういうオーナーは何人いたか。
ほとんどのオーナーは振込みを受けることはなかった。
そもそもRにはその当時、もはやオーナーへ「配当」を支払う能力はなかったようだ。
少し後になって、一連の流れを「第2の豊田商事事件か?」としてリポートした「週刊B」(前出)が当時のRの経営状態について、次のように報告している。
「今やラ社は危機的状況にあるといっていい。
同社の所有する物件の登記を見れば一目瞭然で、たとえば地下鉄赤坂見附駅にほど近い赤坂の超一等地。
ここには高級マンションを建設する予定だったのだが、資金繰りがつかなくなり、今も更地のまま。
登記簿には、1月2十7日受付で、「東京国税局差押」の文字が刻印されている」振込再開を約束した1月27日その当日に、所有不動産の差押えを受けていたのだ。
同誌は、R関係者のコメントとして、その前年(91年)の6月頃より、社員の給料から差し引いている住民税や社会保険料、雇用保険料などを滞納しており、その結果の不動産差押である、と伝えている。
後になって、Rは、入居者から徴収した管理費も流用していた事実が判明する。
電話、水道、電気、ガスの公共料金を払わず、供給をストップされかねない事態も起きた。
それにもかかわらず「振込再開」を匂わせる。
その姑息な手法を、「新C管理組合法人」理事長のMは今日、その後に展開された事態から推察する。
しかしオーナーたちすべてが、同じ条件に置かれていたわけではない。
一人で百数十室所有する大口オーナーもいれば、一室を12人で共有する細区分所有のオーナーもいる。
しかも、オーナーは全国に散在し、お互いが顔を合わせる機会もなかった。
まさに孤立無援。
思い悩んだ末に、いや、即座に売却を考えたオーナーもいただろう。
1月27日振込再開の約束を反故にされたオーナーたちは、改めてローンの重圧に脅え、不安は無限に広がった。
どう対処すればよいか。
考えても、よい思案が浮かぶわけでもなかった。
同じ立場に立つ相談相手でもいれば、現実的対応はともかく、心理的負担はいくらかでも軽減されたであろうが、そういう相談相手すらその時点では存在しなかった。
「C八王子」には当時、同じ不安に怯えるオーナーが約469人いた。
後日の闘いを通してRという会社の正体(後述)を知るに及んでからである。
当時のオーナーたちはRの内情については知る由もない。
当然浮かび上がる手立ての一つである。
実際に、購入時にRのセールス担当者に、同社が倒産した場合を想定した質問をし、「売れば大丈夫」と回答を受けたオーナーもいた。
分譲時においては冗談めいた話であったろうが、今、それが現実になろうとしていた。
そういう一人であったOが、述懐する。
「売ろうにも、誰に、どういう形で話を持って行ってよいか、わからなかった」わからないのも当然である。
「一括借り上げ」という縛りが入ったR物件は、当のRに一朝事あれば、売ろうにも売却困難な、いわば独立した不動産とは認めがたい構造を持っていたからである。
「細区分所有」と合わせて、この点が「オーナーズシステム」の陥奔(落し穴)だったのである。
「事情を話すと開口一番「そんな悪徳業者と一体の不動産屋の相談には乗れない。
転売に関与したことで、道義的責任も考えられる。
」と一喝されたと当時を思い出してMは苦笑する。
最初の法律相談、その時点で、すでにR商法の反社会性をいち早く看破した人物がいた。
Mの相談を受けた弁護士のTだ。
当時、66室を所有する大口オーナー「みなと建設事業協同組合」(港区の中小建設工務店などで構成)の代表理事(購入時は事務局長)の職にあったMは、1991年(平成3年)10月の「振込猶予のお願い」の通知を受けると同時に、組合の顧問弁護士であったTの許に走った。
Tが、Mを「悪徳不動産屋」と一喝したのには、理由がある。
当時、みなと建設協同組合は66室を保有する大口オーナーではあったが、もともとはC棟152室のすべてをみなと建設協同組合とその関係者で購入(協同組合の直接名義は26室)した。
けれども数年後、取引銀行の依頼で協同組合所有の26室中、50室を転売し、約2億円の利益を得た。
時は、バブル全盛。
融資先の確保に血眼になっていた銀行が、転売先に融資するのを目的にMに持ちかけた商談だったし、Mも当然の商行為として応じたに過ぎなかった。
まさか後年、泥沼の闘いに引き込まれるような問題物件であるとは、想像だにしなかった。
事実、問題が発生する直前、協同組合の事業方針で新たに転売の計画を立てていたほどだ。
Tの目には、それが不動産転がしのように映り、つい「悪徳業者と一体」の言葉が口をついて出たのである。
それでもTは、事情を聴き、資料を一読して、過去にリゾート会員権詐欺商法による多数の被害を解決した経験からR商法の不法性を見て取った。
そして即座に、こう指示した。
「これは詐欺商法だが、お金の問題だから一にも2にも、オーナーに支払うお金を取り戻せ。
社長をつかまえ、直談判した方がよい」それも火急的速やかに。
つまり、直接交渉だ。
Mは法的対応を相談したつもりであったろうが、それでは遅いとTは見たのだ。
すでに暴力団の影もちらついているというRを取り巻く不穏な空気を察知したTは、同社の破綻の可能性、その場合の混乱を予見し、とが必要だった」。
MはTの指示に従い、R本社に乗り込み、「配当」支払いの交渉を開始する。
以来、翌92年1月末まで、自ら出向いたり担当者を呼びつけたり、交渉すること十数回。
Tの読みどおり、小出しながら、Rは支払いに応じてきた。
Tの話を聞いたMは、悟然とする。
被害が自身に及ぶだけならまだしも、協同組合関係者や転売先をも巻き込んでしまった、という痛恨の想いが胸のうちに広がった。
売買行為それ自体は、本来、恥ずべき行為ではないにしても、道義的責任を感じないわけにはいかなかった。
「最悪の場合は、転売で得た2億円の範囲内の出血を覚悟してでも解決しなければならな悠長に内容証明を送付したり、仮差押えといった法的手続きで対応していては取れる金も取れなくなる、と判断したのである。
「支払い交渉は同時に、相手の内情を正確に把握するためでもあった。
今、何が起きているのか。
これから何が起きるのか。
交渉を行えば、状況が見えてくる。
現状を知り、先を読み、まずは現金確保を、そして破綻の可能性があれば現金に代わる担保の確保、と適宜対応する。
Mがその後、闘いの先頭に立つことになったのは、そういう責任を感じてのこと強行手段に訴えたケースもある。
92年1月28日といえば、Rが全オーナーに「振込再開」を予告していた翌日である。
その日に、579万円の支払の約束を取りつけていた。
ところが、Rは約束が履行できないという。
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